活版印刷

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活版印刷(かっぱんいんさつ)は、活版(活字を組み合わせて作った版)で印刷すること。また、その印刷物。鉛版・線画凸版・樹脂版などの印刷も含めていう。活版刷りともいう。
印刷には大きくわけると4つの種類があり、版の種類によって凸版、平版、凹版、孔版にわけられますが、活版印刷はこのうちの凸版印刷のひとつになります。凸版印刷には他に、鉛版や樹脂版、写真凸版などがあり、これらを総称して活版印刷ということもあります。
木版刷りやハンコなどと同じで活版印刷の基本的なしくみはとてもシンプルで、印刷される部分がそれ以外の所より一段高くなっていて、その部分にインクを付け、紙をのせ上から圧力をかけて紙にインクを転写することで印刷される。


<歴史>
活版印刷術は、どうやら中国において、最初に発明されたものらしい。活字自体は、かなり早くから発明されていたようだが、活字を並べた組版による印刷では、11 世紀、北宋の工人畢昇(ひっしょう)の名が知られる。これは 沈括(しんかつ)による『夢渓筆談』(むけいひつだん)に記されているもので、それによれば、彼は1041 年 - 1048年頃に、膠泥(こうでい)活字を用いて、これを行ったという。


西洋における活版印刷の技術は東洋より遅れて15 世紀半ばに普及した。一般的にはドイツのグーテンベルク活版印刷の発明者であるとされるが、グーテンベルクがすべて発明したというよりそれまでにあった技術をシステムとして集大成したというのが実情であろう[1]。活版印刷の技術はルネサンスの三大発明ともいわれるほど、社会に大きな影響を持つこととなった。かつては社会のごく一部の階層にしか書物が読まれることはなかったが、グーテンベルクの発明以降、(当初はまだ高価なものであったが)次第に書物は普及し、今日では、誰でも読むことができるようになった。


日本では16世紀末のキリシタン版や江戸時代初期の嵯峨本など、例外的に活字を用いた印刷が行われたが、縦書きの崩し字を活版で印刷するのはかえって手間がかかるという事情があって普及せず、江戸時代にはもっぱら木版印刷(一枚の板で版を作るもの)が盛んになった。活版印刷が広く行われるようになるのは明治時代以降である。


写真植字とDTP化は活版印刷の命脈を途絶えさせる。デジタル製版が可能になり、現在の日本では活版印刷は絶滅に近い。