モホリ=ナジ・ラースロー

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モホリ=ナジ・ラースロー(Moholy-Nagy László, László Moholy-Nagy [ˈmoholi ˌnɒɟ ˈlaːsloː], 1895年7 月20日 - 1946年11月24日)は写真家、画家、タイポグラファー、美術教育家。本名Weisz László(ヴェイス・ラースロー)。ハンガリーのバーチ・キシュクン県 (Bács-Kiskun megye) バヤ郡 (bajai járás) バーチボルショード村 (Bácsborsód község) 生まれ。国を越えて美術の世界で活躍し影響を与えた。政治的流動化のためにドイツへ移り、のちドイツにおけるナチスの台頭によりイギリス経由でアメリカへ逃れた。

ドイツ亡命後は、美術家として数年活動したのち、グロピウスと出会う。1923年から1928 年までバウハウスに招聘され、教鞭をとった。写真やタイポグラフィを積極的に基礎教育に取り入れるなど、革新的なアイデアを用いバウハウスの教育方針に影響を与えた。バウハウス叢書の1冊として1925年に刊行された『絵画・写真・映画』(Malerei, Fotografie, Film)は、美術界に大きな影響を残した。1928年にバウハウスを辞してベルリン、アムステルダム、ロンドンで美術評論やデザイン活動を行う。

1937 年のアメリカ亡命後は、シカゴにニュー・バウハウスを設立し、バウハウスのデザイン教育理念を新天地アメリカに根付かせようと奔走した。彼はこの地で志半ばで死去することとなったが、理念は現在まで残る。

写真家としては、前衛的、実験的な、フォトグラムやフォトモンタージュなどの写真作品を多く制作し、ドイツ新興写真(ノイエ・フォト)の雄の1人として世界に名を馳せた。バウハウスにおいて写真の分野が隆盛を誇ることができたのも、モホリ=ナジによる積極的な作品の発表に拠るところが大きい。

ちなみに現在ハンガリーには彼の名前を冠した国立モホリ=ナジ芸術大学 Moholy-Nagy Művészeti Egyetem がある。